サリーの占いセラピー~タロットの散歩道~

こんにちは!占い師サリーです。占術はタロット数秘術とタロットカード占いです。出来事、カードや人生について、思うところを書いていきます。「今月/今週のタロットカード」を月初め、週初めにお示します。お役立てください。よろしくお願いいたします。心の寄り道、していってね~。

コラム~タロットよりみちガイド~

コラム「宇宙」~穏やかに死を迎える~タロットよりみちガイド~

No21【宇宙】

「宇宙」のカードは、全てのタロットカードのなかで一番パワフルなカードです。
大げさに言えば全知全能です。
ですが人間界では、あまりに知り過ぎていることが、もしかすると足枷になることがあるかもしれません。

例えば、人間関係のなかで、あの人に見透かされているのではないか、と思ったことがありませんか?痛い所を指摘されたりすると、その人のことがちょっと怖くなって敬遠したりしてしまう、そんな経験をしたことのある人は意外といるのではないでしょうか。

「宇宙」のカードを持って生まれた人の悩みはその辺りにあったりもします。
本人は自分のなかだけで大抵ことに解決がつくので、どうしてそんなバカバカしいことを質問したり、喜んだりしなければならないのか、と思ったりすることがあるかもしれません。例えて言いますと、タモリさんがよくテレビで言っている「幼稚園でお遊戯をするのがはずかしい」という感覚と似ていると思います。
また、語る言葉は精神レベルが高いので、周囲とかみ合わないこともあったりします。私の人生そんなことばかりなんだよね、という人もいるでしょう。
ふと気がつくと、質問に答えてくれる存在が見当たらなくなってしまいます。
過去の偉人たちとその書物だけが自分の友であり師だ、ということも。彼らが素晴らしい真理を書き残してくれたこと、さらに、そういった出版物を何百年、数千年と禁書焚書時代をも通り越して守り、引き継いでくれた出版業者に感謝すらしているかもしれません。

このカードの意味に「カルマが終わる」というものがありますが、これはいわゆる仏教で言うところの「解脱」とは違います。解脱は転生が終わることなので、人間として地球に生まれてくることはもうありません。あるいは自分の人生を全てコントロールできるそのような状態で生まれてくることができる、といったような意味もあると私は理解していますが、どうでしょう、そのような人間の魂はまずない、のではないでしょうか。

「カルマ」は、成長のために様々起きてくる出来事です。
ある人生である出来事を解決できないまま終わったとき、次の人生がその問題を解くための人生だったり、体験になったりします。そして上手に解決できればその問題は卒業します。疑問が残ったままなら、また次の人生で、全く同じ状況ではないかもしれませんが、繰り返します。そんなイメージです。

もうひとつの意味は、ただ振り回されるだけの人生、反応型の人生からは卒業しました、ということでもあると思います。
これは大きな人生、魂のサイクルでも言えますが、ひとつの今の人生のなかでも注目すべき事柄ではないでしょうか。
自分の本当の思いとは違う、世間体とか流行とか虚栄とか欺瞞とか強欲とか誘惑を基準にして人生の選択、行動をしてしまっている人生は、振り回されている人生であり、自分でコントロールできていません。自分で考えることのできない人生です。
「そういった生き方は今すぐに終わらせることができますよ」と、このカードは示唆してくれていると私は思っています。

しかし悲しいかな人間は、人生の終わりが近づいたときにようやくそのことに気づく、というのがごく普通の人生のようです。
それでも、気づいた人はまだ良いのですが、いつまでも気づかずに、死ぬ間際まで強欲、傲慢だったりする人もいます。
人間の真実に気づくことなく死んでいきます。

あらゆる機会を捉えて若いときに気づかなかったとしても、
20番「審判」のカードによって人生最後の気づきのきっかけと猶予が与えられています。
20番「審判」で気づいた人は、21番「宇宙」のカードが示すように、余生を調和した心で生き、やりたいこと、やり残したことをやって、穏やかな心持ちで死を迎えることができます。
そのための、そこにたどり着くための、0番から20番のカードたちだったのです。そのエネルギー、アドバイス、ガイダンス、だったのです。

0番「愚者」から始まったタロットカードはここで終わります。
全てのカードが実は、「バランス」の大切さを描いています。
つまり、バランスを崩せば、全てのカードは全てネガティブなエネルギーの影響を受けてしまうからです。
宇宙も社会も人の心も「バランス」です。
「カルマ」もまた「バランス」です。

リテラシーを持った、自分の頭と心で考えることのできる人生こそが、本当の幸福、ひいては宇宙の調和をもたらすのだ。
「宇宙」のカードはそういった究極の真理をつきつけてきます。

そしてまた、私たちは0番に戻り、誕生します。






コラム「審判」~人生にとって大切なこと~タロットよりみちガイド~

No19【審判】

このカードは「審判」ですが、「永劫という意味のイーオン」と書いてあるカードもあります。
何が永劫なのでしょう?

「審判」というとキリスト教徒でなくとも「ミケランジェロの最後の審判」という壮大なシスティナ礼拝堂の天井画を想像する人も多いかもしれません。
「最後の審判」とは何でしょう?
もしかしたら地球上のあらゆる民族に共通する死にあたっての裁きの観念かもしれません。
日本でも「三途の川を渡る」と言います。そのとき、この世の欲ははぎ取られる、と聞いたことがありませんか?川には名刺やお金などが沈んでいるそうです。

「審判」を受けるとは、天国か地獄かの判決が下される、というのが分かりやすいかと思います。生きてきた人生への評価、です。
ミケランジェロの天井画でも、天国と思われるところへ昇っていくものと、地獄なのでしょうか、変わり果てた姿の人間が下っていったり鞭打たれたりしている様子が描かれています。

地獄というのは、子供たちが悪いことをしないための恐怖心を植え付ける躾のためにつくった、という人もいます。そういうこともあるでしょうが、地獄という死後の世界があるにせよないにせよ、善悪の区別を教えることは人間として必要なことだと思います。

このカードはまず、良いことと悪いことの区別をしっかり認識すること求めてきます。
そして、人生において一番大切なことは何ですか?何であったと思いますか?とまさに天国の門の前でかしこまっている死にゆく魂に尋ねるかのように、問いかけてきます。緊張する瞬間です。

私たちは、自分が大事にしていたこと、奪ってでも欲しいと思って手に入れたものが、実は虚しい、この天国の門を通るときには捨て去っていかなければならないものだったということを知ることになります。
自分が正しいと思っていたことが、実はそうではなかったと気づきます。
気づく人はまだ救われますが、なかには気づかない人もいるようです。

捨て去っていかなければならないものがある、と聞いて「死神」カードを思い浮かべた人もいるのではないでしょうか。
「死神」は霊界への案内人でもありますので、まさに切り捨てるべき古いもの、不必要なもの、のなかには「審判」のときに問われるヒントが隠されていたのかもしれません。
けれどもまだ、人生のあの段階では、大抵の人はそこまで精神的に成長していないはずですので、できていなくてもがっかりしないでください。

人生の旅路は魂の成長の旅です。劣化させるために生まれてきたのではないということは万人に共通の価値観ではないでしょうか。

人によっては人生の早い時期に「大事なこと」に気づきますが、人生のほとんどの時間を気づかずに過ごして審判のときを迎える人もいます。

人生は「旅路」なので「道」のあちらこちらで気づくための出来事が用意されています。
それは大小さまざまで、あまりにも過酷な経験もあれば、さほどでもないこともあります。
「神様は乗り越えられる試練しか与えない」という名言もありますが、人それぞれ持って生まれた心のパワーも違いますので、気づきの体験も様々だと思います。
ちなみに、聖書では
「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」
(コリントの信徒への手紙Ⅰ10章13節/新共同訳) 
と書かれているそうです。
神様は必ず助けてくださるようですね。

さて「人生で本当に一番大事なこと」とは何でしょう?
簡単に種明かしをしてしまいますと「目に見えないこと」です。
「愛」「勇気」「正義」「信頼」「思いやり」「優しさ」などなど。
お金や車やブランド品や立派な家や地位や肩書きや学歴ではなく。
今まで真実だと思っていたことがそうではなかったということ、錯覚のなかで生きていたのだということを、魂はどうしても気づかなければなりません。
それを「審判」のカードは強く迫ってきます。
そしてその審判の結果によって、次の人生が選ばれます。
ゆえに「永劫」なのでしょう。

この気づき、人生の清算をぜひとも生きている間にやってくださいね、とさらに「審判」は声をかけてきています。
これができた人は、そのあとの残りの時間を21番「宇宙」というカードとともに生きることができるのです。





コラム「太陽」~アンパンマン的ヒーロー~タロットよりみちガイド~

No19【太陽】

この世で、人生に喜びを感じている人は、実はそれほど多くないのかもしれません。
ゆえに人間は、何か楽しいことをしたり、何かを買い求めたり、おいしいものを食べたり、世間から認められ賞賛されることに、喜びや幸せを感じようとするのかもしれません。
「ただ生きていることの喜び」を感じて太陽や空気に感謝する日々、などという生活は、どこぞのお坊さんでもなかなか難しいと思います。

相対的にみて自尊心が傷ついたり、優越感を得ることができないとき、人は嫉妬や自己卑下を感じて、不幸になったりします。
人間の幸福感情など、なんと粗末なものであろうかと、哲学的宗教的に考えればなんということはないのですが、それが分からないので人は悩みに時間を費やすのです。
そして、何も叶わないとき、人は自堕落になり、自暴自棄になり、不良化したり、残酷になったりします。

けれども日の当たらないところにいることは、誰の本望でもありません。

私たちは、自分のポジティブに気づいていないと、せっかく持っている長所も能力も使うことができません。
もともとネガティブな魂の人はこの地球にいないのです。

とても幸せな環境にいるのに、不幸だと思っている人もいます。
贅沢なのではなく、自分の満足が別のところにあるからでしょう。あるいは、もっと上を望んでいるか、より幸福に見える誰かと比べているのかもしれません。一番多いのは、欲というものに際限がないということもあるでしょう。
欲望が強欲となって、嫉妬したり、蹴落としたりという非道な行動をして平気な顔をしている人もいます。それこそ華やかに見えて、実は身も心も暗い人生と言わざるを得ません。

ポジティブにも限界があると私は感じています。
なんでもポジティブならいいというものでもありません。
外からくるものとしては、そのポジティブな助言や励ましが、誰かを大いに傷つけたり、白々しく感じてよけいにやる気をなくさせたりすることがあります。
内からくるものとしては、空回りです。ネガティブを覆い隠すために発しているポジティブです。必死のポジティブは、ネガティブではいけないという思いからつくられているので、実は本人の気持ちはその覆い隠そうしているネガティブに集中してしまっている状態なのです。ゆえに、ポジティブとは全く逆の思い方をしているのであり、本人の願いも虚しくネガティブを引き寄せてしまうことになりかねません。

「太陽」は明るさとパワーの世界そのものではあるのですが、その裏に隠された「陰」の部分があることを忘れてはいけないと私はいつも思っています。
陽は陰があってこそ輝きます。
人の心は陰陽でできています。

太陽は自分を燃やして周囲を照らし、命を与えています。
それと同じように、周囲を幸せにできるけど、自分の人生は辛い、という人も世の中にはいるかもしれません。
それは大きな徳を積んでいるのであり、それだけの使命を与えられているのだと思って自分を慰めるしかありません。
けれどもおそらくそういう人は、そうすることが自分の幸せなのだろうと思います。
そうしないと生きてすらいけないかもしれません。
アンパンマンが自分の顔をちぎって困っている人を助けるように、太陽もまた、そのようなヒーローなのかもしれません。

太陽の19番は1+9=10「運命の輪」です。運命的使命なのでしょう。
そして「幸運の輪」ですから、きっと太陽カードのパワーの影響を受けている人は、この人といると幸せになる、いいことがある、そんな風に思ってもらえていると思います。

一方でやはり、自分の幸福をないがしろにしないこともまた、実はとても大事な使命であるということも忘れてはいけません。

「太陽」のカードは、屈託のない笑顔です。
画策などせずに、おおいに人生を楽しむことができます。
そうできるはずですよと、私たちを促してくれています。




コラム「月」~カルマ~タロットよりみちガイド~

No18【月】

このカードはきわめて謎を秘めたカードです。
神秘的なエネルギーも秘めています。

「輪廻転生」という思想があります。
仏教では当たり前のことなので、生まれ変わりの話などを聞いたことのある人は多いかもしれません。
同時に「カルマ」という言葉も聞いたことがありますか?
「カルマ」の意味のとり方も、宗派などによって少しずつ違うかもしれません。
私の解釈で簡単に言いますと、転生のなかでの因果律です。
原因があって結果がある、ということです。
善因善果悪因悪果がもっとも分かりやすいと思います。なにも、前世を持ち出さなくても、日々の生活のなかでも悪いことをすれば悪いことが起き、良いことをすれば良いことが返ってくる、という単純な法則です。
最近はそんなことを言ってくれる人も少なくなりましたね。
また、悪事を働いた人は、もしこの世で隠し通せたとしても、あの世に帰ってから報いを受ける、罰を受ける、地獄に落ちる、などとも言います。

「月」のカードが示す「カルマ」は、もっと深いものです。
過去世での関係で解決のついていないこと、卒業できていない学びを今世で学ぶために、再び出会ったり、同様の環境に置かれたりする、ということです。
たいていの家族や友人知人関係、人間関係はそのような法則のなかにあると、スピリチュアルの世界では言われています。

私たちは、人生のなかで、成長するために数々の試験を受けています。それが、問題解決への苦労だったり、試練や修行のように見えたりします。決して楽しくはありません。
人を殺した人は、今度は殺されるとか、盗んだ人は盗まれるとか、騙した人は騙されるとか、単純に言うとそういうことです。
しかし、それほど短絡的ではありませんし、ましてや、人生の綾糸は複雑にからみあっていますので、なかなか明確に説明しきれないということもあります。

良いカルマもあります。
親が子になり、子が親になる。前世では教えてもらったので、今世では教え育てる側になる、助けてもらったので今世では助けます、など。

しかし、私たちはこの世界を生きていくときに、この「カルマ」というものにあまりにこだわりすぎてしまいますと、生きていくのが困難になってしまいます。その上、人々から奇異に思われてしまうこともあります。
ですので、どっぷりつかり過ぎず、ときにあっさりと物事をとらえていくことも大事です。

ですが人生の途上で、深い縁を感じるという人と出会うこともあるでしょう。こうなるべくしてなったという出来事もあるでしょう。そんなときには、なにか神秘的な力が作用していると思って天を仰ぐこともまた、人生には必要なことかもしれません。
神秘的な出来事のなかには、肯定的なこともあれば、否定的なこともあるでしょう。
肯定的な出来事には感謝をすればいいと思います。
否定的な出来事が起きたときには、その背景をしっかりと捉えて、解決できることは解決して、前にある光だけをみつめていくようにしましょう。

特に否定的な出来事が起きたときに、これは神秘世界で何か特別なことであって、自分も特殊な存在なのかもしれないとありがたがっていると、深みにはまって脱出できなくなってしまいますので注意しましょう。
このカードが忠告しているのは、むしろその否定的なカルマへの不健全な解釈と理解のことだと私は思っています。

「星」の世界から「月」に入り込み、そして次は「太陽」ですから、夜明けは必ず来ますので、明るくなるのを待つこともまた、私たちの人生には必要なときもあります。






コラム「星」~夢を大切にする~タロットよりみちガイド~

No17【星】

私は「星」のカードが大好きです。

サリーのタロット数秘でこのカードを生まれ持った人は時代的に少なく、そしてワークでひいてもらうときにも、ものすごくよくお目にかかるカードではないかもしれません。
それはおそらく、とてもポジティブなカードだからではないか、と勝手に想像しているのですが、どうでしょう。

私は個人的にこのカードのことを「才能カード」と呼んでいます。
なぜなら、このカードを持って生まれた人は、生涯「星」がついて回る、という意味があるからです。文字通り「スター」です。
有名人になるかどうかは別として、人生の様々な場面で輝くことは間違いないはずです。
ところが、このカードを素直に生きている人はなかなか少ないかもしれません。

どちらかと言うと、夢見心地とか、夢ばっかり見て実行が伴わないとか、いわゆる夢みたいなことばかり言っている人、という印象の強い人が多いかもしれません。
なぜそうなのかな、と考えたとき、社会がそのようであるからだ、と思わざるを得ないのです。
「夢みたいなことばかり言うな」とは、大人が子供の将来についてたしなめるときによく使うセリフです。
この一言が、どれだけ若者たちのやる気をそいできたか、どれだけネガティブな思考を植え付けることになってきたか、ということは、私だけではなく多くの文化人が言っていることでもあります。

否定からは何も生まれません。とくに子供には肯定的思考を浸透させたほうがその子の将来のため、その子の才能を伸ばすためにはよいことなのです。
ところが、親というのは、子供の将来を心配して、何とか食べていけるようにと慮って、海とも山ともつかない事には反対するのです。あるいは世間体という名の親のエゴや見栄かもしれません。俳優を目指すよりも東大に行くことを勧めるでしょう。
そのようにして押さえつけられた人間の希望は、行き場をなくしてどんどんネガティブな波動を作り出していきます。
あるいは、目指したとしてもすぐには結果がでないこともあるでしょうから、失敗を重ねると自信も希望もなくして、否定的感覚に沈んでいき、しまいには成功者への恨み辛みにまでなってしまうことさえあります。

そういう意味では、「星」のカードは極めて危険なカードになり得る要素を、明るい希望とともに持ち合わせているとも言えるのかもしれません。

確かにこの世では、夢ばかり見て実行が伴わなければ何を起きません。何も実現しません。
ゆえに17番のこのカードには、1+7=8というエネルギーが含まれているのだと思います。
8番「正義」。つまり客観的観察力と実務能力です。
霊感型の行動を起こすとき、夢を語るとき、冷静な判断力や現実的手段にうとくなってしまうことが往々にしてあると思います。
自分にできないことは人の力を借りることも良い方法です。
なので、マネージャーという仕事が存在するわけです。

一方でこのカードは、ロマンチックな思いを忘れてしまったときにそのエネルギーを失うと私は感じています。
人間にはファンタジーが必要です。
嘘と詐術、競争と脚の引っ張り合いが横行する社会のなかで、このカードのエネルギーは生き残りにくいかもしれません。
けれども、インスピレーションを素直に表現していくことで、世の中の発展に寄与している人物はいつの時代にもいます。そのような人々は、どれほどの苦難困難や邪魔をものともせずに、ただひたすら自分の希望を信じて突き進んでいるに違いありません。そんなときには、いわゆる天の助けなるものすら感じていることでしょう。
その人の情熱が周囲の人々の心を動かすということもあるでしょう。テレビドラマやドキュメンタリーでよく見かけるような展開です。

日々の生活のなかにも、「星」のエネルギーが働くことはいくらでもあります。
親や教師が子供たち生徒たちへ送る、発展と成長、そして応援のエネルギーです。
心あるおとなは、たとえ自分の心に敗れた夢を抱えもっていたとしても、子供たちの夢を否定するような言葉、意地悪な揶揄、ましてや嫉妬などを投げかけては絶対にいけません。だからといって安請け合いや気のない肯定もよろしくありませんが、否定するよりはまだ増しかもしれません。
なぜなら、子供はその言葉を素直に受け止めたあと、実践して夢を叶えていくパワーに変えることができるからです。

以前、私が相談者さんを占っているその内容を通りすがりの人が笑った、というシーンに遭遇したことがありました。故意にではなかったのでしょうが、何気に内容が耳に入ったのだと思います。その人は唾棄するようにせせら笑いました。
人の人生をばかにする人は、自分の人生もバカにされます。いいえ、それどころか、自分で自分の人生をバカにしてしまっていることになるのです。
ただのインチキ占いか、とバカにした嘲笑だったのかもしれません。
が、相談者さんたちの悩みや思考は、その人の人生ですよ。
大人でも子供でも、他人の人生や夢をバカにする人は、知らず知らずに自分の人生や夢をバカにしてしまっている人です。厳しい事を言わせていただきますと、そういう人は、自分を夢を叶えることはきっとできません。

「星」のエネルギーを大事にしましょう。
すると世界に平和の星が輝くことでしょう。
この私の言葉、夢みたいなことだと思いましたか?





コラム「塔」~アハ体験とファンタジーのアイテム~タロットよりみちガイド~

No16【塔】

「塔」のカードを見ると「バベルの塔」を連想する人は多いのではないでしょうか?
聖書その他の解釈を経て、私が理解しているのは「人間の傲慢の象徴」ということです。
ゆえにこの「塔」のカードは、神の怒りに触れて崩されようとしています。確かに稲妻も見えています。
実際聖書のなかではそのような記述はないそうなのですが。

何らかのトラブルが予想されたり、悪いことが起こる、失敗するからやめたほうがいい、という単純な忠告をしてくるカードではありますが、私はこのカードをそれほど不気味でネガティブなカードだとは思っていません。

タロットカードが人生の旅路、心の旅、錬金術的魂の成長であるとすると、「塔」のカードはまさに、人間のレベルアップを象徴しているようにさえ見えます。

たぶん、読者のみなさんはそんな風にはひっくり返っても思えないかもしれません。
でもぜひ、ひっくり返って見てください。「塔」のカードに描かれている、今まさに窓から落下している人のように。
この人はおそらく落下しながら世界の真っ逆さまな風景を見ていることでしょう。そして、それまでの自分の考え方、価値観、大事にしていた事々について、あれは本当だったのだろうか、と考えているかもしれません。
「逆さの視点」ということでは「吊られた男」にも共通しています。
「吊られた男」と違うのは、この「塔の男」は、ひどい衝撃を受けているということです。

この落下中の二人の男は、誰なのでしょうか?
私が使っているカードでは、ひとりは冠をかぶっているので王様でしょうか。もう一人はかぶっていないので、廷臣か従僕といったところでしょうか。いずれにせよ、城下町の住人ではなさそうです。
従者はともかく王様は、高みから周囲を見下ろし、庶民の暮らしがどのようなものであるかなど気にも留めたことがなかったかもしれません。中世やルネサンス時代までは、国王も戦場に出て命の危険に常に晒されていましたが、この塔の住人はそういう人物には見えません。自分の欲望を満たすために命令を下し、高みの見物をしていたのかもしれません。

余談ですが、同じ塔の住人でもモンテーニュとは大違いです。モンテーニュが塔に閉じこもったのは、おのれの心の平和を保つため、喧噪、戦いをさけるためでした。誰も苦しめていません。「隠者」のカードが一番近いと言えましょう。
「塔」は俗世間を見下ろすためだけではなく、隠遁、俗世間を離れるために使われることもあるわけです。
もうひとつは、幽閉のため、でしょうか。お姫様とか。
ファンタジーには必要不可欠なアイテムかもしれません。

私たちの悩み、人生の疑問に答えてくれるためのタロットカードの「塔」は、静かな情景ではありません。明らかなのは、稲妻に打たれて壊れている、そして人が落下している、ということです。

私たちは、人生のある時点で覚醒を余儀なくされる時期があります。
今までとは全く違う感覚、考え方、生き方があることを知ります。
それを知るときは決して穏やかではないでしょう。雷に打たれたかのような、脳天をかち割られるような衝撃です。
それは、精神的ショックだけではなく、物理的な打撃であることもあるでしょう。
異文化もしくは異星人に出会ったかのような体験は、自分の思考パターンに固執しているときにはただのダメージにすぎませんが、全く違う世界観が存在しているのだという気づきを得たときには、それはポジティブな大発見となって私たちを成長、発展、成功へと運んでくれる素晴らしい一撃となりうるのです。

ゆえに、「塔」のカードを嫌わずに、ぜひともよきアドバイスカードとして、そのパワーを使っていけたらいいのではないか、と私は思っています。

多様性の認識が叫ばれている21世紀にこそ、この気づきのパワーは調和の根底に必要なエネルギーなのかもしれません。

タロットワーク自体が気づきの連続であり、脳科学的に言うところの「アハ体験」なのですが、「塔」のカードは、まさにその視点をはっきりと表明しているカードであるように、私には思えます。
ミクロでもマクロでも、全ての人類に必要な体験です。




コラム「悪魔」~己心の魔と外の悪魔~タロットよりみちガイド~

No15【悪魔】

「悪」は、他人の心にだけあるのではありません。自分の心のなかにもあります。

自分はいつでも善で正しいと思っているかもしれませんが、そんな自分も誰かにとっては悪事をはたらいてしまっているかもしれません。

とても好きになれないその人が自分の家族だったら、と考えたとき、その人に対して意地悪な態度を取ることができますか?
私も、ある人への自分のなかのよろしくない思いに悩まされていたとき、ふと、じゃあ、この人が父だったら?母だったら?祖母だったら?……と考えた途端、私の心のなかの「悪魔カード」が消え去っていったという経験をしたことがあります。

また、外からの積極的な攻撃にさらされることもあります。
そういう人間には仏心は通用しないこともありますので、その場から離れる、逃げる、という身を守る行動を心掛けましょう。
「悪魔」と戦うのは大変です。映画「エクソシスト」を思い浮かべれば分かると思います。
悪魔とは、面と向かって戦ってはいけません。

私がこのカードを読むとき、相談者さんに必ず言うのは、パワーはあるけどそれは悪魔のパワーなので、人間が使いこなすのは至難の業です、ということです。
たとえば、誰かを騙したり、都合よく利用して成功したとしましょう。そのつけはどこかで支払うことになるはずです。まっとうなパワーではないからです。
あるいは、悪魔に魂を売りますか?
有名になるため、金持ちになるため、彼女を手にいれるためなら、それもよしとしてしまう、そこまで感情や強欲が強くなっていることもあるかもしれません。あるいは、失敗つづきだったりしますと、藁をもすがる思いになるかもしれません。

外からの攻撃には、まずは逃げること、危険だと思ったらとにかく関わらないことです。
できるのであれば、愛とユーモアでかわすことが最善の手段です。

けれども自分の心はどうにもなりません。自分からは逃げられないので。
たとえば、依存。
依存させられていると思うかもしれませんが、依存しているのは自分です。そのことをよしとしているか、逃げる勇気がないか、ときどき心地よささえ感じているのかもしれません。虐待やDVがそうです。
ギャンブルやアルコール、ストーカー行為も含めて「依存」は病気ですので、カウンセリングで治療したほうがいいと思います。
パワハラやセクハラをする人も、本当はカウンセリングが必要なのだと思います。心に問題をかかえているので、そのような行為に及ぶのです。

けれども、大きく言えば、心に問題を抱えていない人などいません。
ですので、いかに、健全な知性が必要であるか分かります。知性に欠けているとき、人はただただ悪魔のパワーの思うがままです。

「嫉妬」「羨望」「貪欲」「妬み」「恨み」「不信」「不安」「恐怖」「絶望」は悪魔が大喜びする人間の感情です。
これらの感情が満ち満ちている場所に、私たちはいたいでしょうか?
たちまち争いが始まるそんなところにいたくはありません。
いたくなければ、私たち自身もこれらの感情を持たない努力をすることが肝心です。
そうは言っても、人間ですので全く持たずに生きることはできないでしょう。
必要以上にこれらの感情を大きくしないこと。抱いてしまったときには、そのことを正直に認めて、どうしてそう思っているのかを冷静に分析すること。
善人面をして自分に隠していることが一番怖いことです。それこそ「悪魔」になってしまいます。

悪魔のカードは15番です。
15を分解すると1+5=6です。
己心の魔を消し、外にいる悪魔をかわす方法です。

6番は「恋人」愛のカードです。
まずは愛の心をいつも持つこと。攻撃は愛とユーモアで受け止めること。

5番は「神官」勉強のカードです。
悪魔の攻撃は試練かもしれませんが、実はたいした試練ではありません。そちらに集中せずに、自分の勉強や仕事に集中しましょう。

1番は「魔術師」です。
目の前の恐怖はイリュージョン、錯覚です。種も仕掛けもあります。自分で作り出しているだけです。怖がらないで勇気を持ちましょう。騙されないように見極めましょう。

己心の魔とはしっかり向き合い、
外の悪魔とはがっぷり四つに組まないことです。




コラム「節制/芸術」~「相補性/バランス/融合/多様性/平和」~タロットよりみちガイド~

No14【節制/芸術】

人間には好きなこともあれば、嫌いなこともあります。
得意なこと、不得意なこと、それは人それぞれです。
それぞれがその個性を生かし合って成り立っている社会が、調和のとれた穏やかで平和な社会です。そこでは小鳥の囀りが心地よく聞こえています。

そのバランスが崩れたとき、不協和音が鳴り響き、相容れない人々が争い事を起こしていきます。不調和です。その最たる現象が戦争ではないでしょうか。そこはギスギスとした金属音で満ちています。

理解し、認識し合うことは、自分を捨て去ることとは違います。
自分を押し殺して相手に合せることとは違います。
そんなことをすると、世の中がギクシャクしてしまうのです。我慢し合っている世界では誰も幸せを感じることはないしょう。疑心暗鬼と妬み嫉みの渦巻く世界です。
このカードはそんな世界を表していません。

「自分を知り、相手を知る」「相手を認め、自分も認めてもらう」その相互関係が調和へと私たちを導いてくれるはずです。
自分のことは知ってほしい、褒めてほしい、認めてほしいけど、誰かを認めたり、賞賛したりはしたくない、という世界はアンバランスな世界です。

公平とか平等とか簡単に言いますが、それは皆同じ、ということではありません。
バランスのとれた世界とは、違う人たちが、その違いを認め合い、補い合い、助け合っていくことのできる世界のことではないでしょうか。
皆同じではないのです。金子みすずの詩ではありませんが、みんな違っていいのです。
いや、みんな違っていいどころか、みんな違うのです。違っていることが当たり前なのです。
日本はとくに、はみ出さないようにしようとする教育を受け、社会の風潮もそうです。
そんな窮屈ななかでここまで成長できたのですから、日本の底力には計り知れないものがあるのかもしれません。

しかし、違っていいのですが、違ったままぽつねんと存在しているだけでは、何も起きません。
ですので、認め合って調和していくことが大事なのです。

一見相容れないように見えるものが両立する可能性のことを科学の世界では「相補性」と言うそうです。
心理学でも、互いの相容れない特性がしだいに補完し合っていくことを「相補性の原理」と言うそうです。

バランスというのは、同一の状態からは生まれません。左右、プラスマイナスがあってはじめてバランスが取れるわけですから、そこから考えても、「異質性」「二元性」「極性」というのは悪ではないのです。地球だって「極性」でバランスが保たれているわけですので。
そう考えますと、違うということで争ったり排除したりすることが、人間にとって、地球にとって、いかに大きなダメージであるかが分かります。

「14番」のカード名は「バランス/融合」あるは「多様性」でもいいように思います。
バランスには節度が大切だ、ということなのでしょうか。

自分自身のなかのバランスということで言えば、自分にはできるはずがない、起こるはずがないと思っていたことができたとき、起こったときの喜びは半端ないそうです。脳科学的にはドーパミンというものが出て、幸福感が増すそうです。
苦労が報われたときの喜び、です。
ですので、自分の能力を決めつけてしまうことはチャンスを逃すということにもなりかねませんので、それはもったいないことかもしれません。
とはいえ、できたときの喜びを味わおうと、無理やり苦手なことに取り組み続けるのもまたバランスを欠いたことになります。
そういう意味でも、節制であり、バランスなのだと思います。

他人の個性を認めない自分は、自分自身の一面に固執している、というのが大きな要因かもしれません。しかしその固執している自分は、自分で理解している自分ではなく、親や教師など周囲の誰かから言われて刷り込まれた側面かもしれません。良い面も悪い面も含めて。
他人との関係の前に、自分自身の特性を長所も短所も含めて理解して認めることができれば、そこにはニュートラルで穏やかな世界が広がるのではないでしょうか。肩肘を張らずに生きていけます。
そのような軽快な人間は、他人の長所も短所も、そして個性も、受け入れることができるはずです。

このカードは素晴らしい「平和」のカードかもしれないと、思えてきました。






コラム「死神」~古い自分を捨てようとする過程での発見~タロットよりみちガイド~

No13【死神】

「死神」を怖がる人は多いと思います。いや、怖がらない人はいないでしょう。
けれども、「死神」は即物的に「死」を意味していません。
死ぬべきものは「古いもの」です。
古いものもいろいろあります。古い自分、考え方、やり方、仕事、人間関係、誰かへの思い(恋心)から部屋にある物まで。

部屋の整理整頓、仕事場の整理整頓、心の整理整頓をして、自分にとってもう必要のないものはゴミ箱に捨ててしまう、ということを「死神」は要求しています。

一方で、捨てる作業だけではありません。
何を捨てようかと片づけをしている過程で、こんな経験をしたことがありませんか?
昔のものや忘れていたものが出てきて、自分がかつて考えていたこと、やりたかったけど諦めていたこと、後回しにしていたことなどを思い出した、ということ。
悩んだり、迷ったりしているときの心は混乱しているので、こういった作業はとても役に立ちます。
部屋を片づけたことで心の整理がつく、すっきりするということもありますが、昔のものが出てきて、これからの方向のヒントになったり、選択の決定打になったりすることもあるのです。

「死神」は、私たちをとても上手に導いてくれます。
古いもの、いつまでも執着していて手放せなず前進をはばんでいるものを捨てると道が開けます。
古いものが出てきてき、忘れていた大事なことが心に甦り、これからの行く先へた手がかりを渡してくれます。
「古いもの」には2つの意味があるわけです。捨てるべきものと思い出すべきもの。
ゆえに「死神」のことを「死と再生、復活」と言ったりするのです。

もうひとつの「死神」の特徴はその様相です。たいてい骸骨です。
骸骨は、素直さを象徴しています。装飾品で誤魔化していません。
自分の道、変化のための新しい扉を開こうとするときには、自分の気持ちに正直でなければいけません。なぜなら私たち自身の人生だからです。親でも親類でも友人でも先生でもなければ、ましてや世間的価値観に従う人生ではありません。とても大事な視点です。
道を選ぶときには、虚栄心に従わないことを示唆しています。

古いものを断ち切るには、自分の意志の力も試されます。
「死神」カードの影響を受けているときは、環境の変化が大きいので、新しい扉が自動的に開くことがあります。まだ整理できていないのに。それでも変化は変化ですが、自分の意志がともなっていないので、その扉の先にある光景が自分が描いていたものと違うことが往々にしてあります。そんなときはあまり幸福ではないでしょう。ですので、ぜひとも自らの意志の力で開いてほしいのです。
もし自動的に開いたとしても、それをシンクロニシティとして捉えていくことが次の一手かもしれません。あまりにも好みの場所ではないときには、早々に出るか、次の扉を探しましょう。

物理的にも精神的にも古いものがなくなると、新しいものが入ってくる、というイメージが分かりやすいでしょうか。

復活させるべき過去の記憶が甦ったとしても、それは、決して過去の自分に戻ることを意味しません。その甦りを「発見」として、新しい自分、進展した自分になっていきます。

過去と現在は全く違います。
華々しい良い思い出でも、トラウマや悪夢ような記憶でも、思い出や記憶のなかに生きることは間違っています。
「カップ6」のカードを思い浮かべてみるといいでしょう。
良い思い出や忘れていたり閉じ込めていた記憶は、ここから先のポジティブに役立てていくためのシンクロニシティにしていきます。

さて、何を捨てたらよいか分からなくて困る、ということもあります。
山口県宇部教会の片柳弘史神父がこう述べています。
「何を捨て、何を取っておくか。唯一の基準は、それが自分にとって本当に必要かどうかです。自分にとって本当に必要なものを知っている人は、不要なものを迷いなく捨てられますが、知らない人は何も捨てることができません。」

脳科学者の茂木健一郎は次のように書いています。
「何回も生と死のサイクルを繰り返しながら、私たちの身体を構成する元素を生み出してくれた宇宙の物質代謝。私たちの儚く短い一生の中にも、そのような『古い自分の死』と『新しい自分の誕生』のドラマは繰り返されているのではないか。古い自分が死ぬことで生み出された新しい元素が、新しい自分の大切な構成要素になっているのではないか。古い自分の屍の中にこそ、ダイヤモンドや金だってあるのではないか。」
(「今、ここからすべての場所へ」P175)

素晴らしい箴言です。
「死神」は、捨てるべきもの、古いものを知る機会を与えてくれると同時に、本当に必要なもの、自分にとって大切なものを教えてくれるエネルギーなのだと思います。

ぜひ「死神」の助けを借りて、人生のさまざまな場面で、都度、新しい扉を開いていきましょう。
出口を探すのではなく、入り口を探してください







コラム「吊られた男」~順番を見直す~タロットよりみちガイド~

No12【吊られた男】

私たちは同時に多くのことをすることはできません。
例えばこのカードを引いたとき、あるいはこのカードエネルギーの影響を受けている運勢のとき、私たちは、今自分がすべきことは何であるのかに思いを致す必要があります。

物事がどうもうまく運ばないというときの原因は様々あるでしょうが、「優先順位」を間違ってしまったときの停滞には、なかなか気づきにくいものです。なぜなら本人は、今一番にしたいこと、すべきことをしていると信じて行動しているからです。
そんなときは、原因が自分にあると考えずに、人や環境のせいにしたり、ときに「運勢」のせいにしたりするかもしれません。それもまた思考の優先順位を間違ってしまっている状態です。

「吊られた男」の神秘性はそこにあります。
つまり、今優先すべきことは、もしかしたら自分が思っていることとは違っているのかもしれない、という疑問を抱いて考え直してみることです。

自分の仕事内容を書き出してみて、順番を付け直してみるといいでしょう。
意外なところに1番はあるかもしれません。
例えば、家の仕事と会社の仕事があるとして、家のことは後回しでも大丈夫だと思うのが普通かもしれません。会社の仕事を後回しにしたら多くの人に迷惑がかかりますから。でもどうしてもうまくいかない。契約も取れない。なんで?とりあえず会社の仕事は置いて家の仕事をしてみたところ、会社の仕事までうまく回り出す、というようなことがあります。
そういうことなのです。
今すべきことは家の仕事だったのです。

「吊られた男」は、私たちに今一番大事なことを教えてくれるのです。
それは大きな気づき、発見となって、ますます私たちの物心両面の成長を手助けしてくれることでしょう。

人生において大事なことを、私たちは時折忘れてしまいます。
そう言いますと、精神的なことばかりかと思いがちですし、そんな説教はいらないと思う人も多いことでしょう。
ところが、なかには精神的生活ばかりを大事にして、現実的生活をおろそかにしている人もいます。あるいは、そのような時もあります。
お金なんかどうでもいい、という心は、金の亡者よりもレベルが高いように見えますが、この世に生きている限りお金は必要です。必要なお金がないがゆえの不具合もあります。
だからと言ってお金を稼ぐことに夢中になって人を傷つけたり、お金を貯めることに夢中になってケチになったり、お金はあるけど使うことに地道をあげたり、あるいは施してばかりいることも素晴らしい心根のように見えますが、いずれもバランスを欠いています。

人生の途上、その時々でもまた、優先順位は違ってくることでしょう。
なんとなく行き詰まりを感じたり、行き止まりを見せられたり、邪魔が入ったりしたときには、はたと立ち止まって、何をすべきか、何を忘れていたかを自分の心に問い直してみることが、よりよい人生のためには必要なのではないでしょうか。

「心を忘れた科学」とは、21世紀では古い慣用句になってしまったでしょうか?
「吊られた男」をマクロの視点で見てみると、まさにこれではないか、と思います。
つまり、人間にとって一番大事なことは何ですか?という問題提起です。
便利なものほど使い方や使いどころを誤ってしまうと、とんでもないことを引き起こしてしまうことを、人類はすでに体験してきました。公害や温暖化、そして戦争まで。今も続行中です。

話が大きくなってしまいましたが、
日々の生活のなかでも、順番は大切です。
順番を間違えなければ、スムーズに事は運びます。
それはもしかしたら、自然の流れに逆らわないこと、でもあるかもしれません。







ごあいさつ
サリーです。 タロットカードからたくさんの気づきを得てください。
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